1. 日比谷の歴史

日比谷の歴史 history

日本の近代化をリードした「日比谷」

明治維新以降、日比谷は日本の近代化をリードする進取の精神に満ちたエリアでした。1883年(明治16年)には、諸外国の国貿や外交官をもてなす社交場として「鹿鳴館」が、1890年(明治23年)には、東洋随一の大ホテルと称された「帝国ホテル」が完成。日比谷は日本の国際外交拠点として発展していきます。

また、日比谷は当社にとっても非常に重要な場所でした。1894年(明治27年)、「有楽町三井集会所旧館(日本館)」が、さらに1898年(明治31年)には「有楽町三井集会所(西洋館)」が完成。三井家の諸事業部門の営業方針を審議する会議の場として利用されただけでなく、外国の皇室や政治家、実業家などの要人を歓待する三井家の迎賓の場としても活用され、まさに当時の民間外交の場でもありました。

有楽町三井集会所旧館(日本館)
有楽町三井集会所旧館(日本館)

日本のエンターテインメントの中心地「日比谷」

昭和に入ると、関東大震災の復興のシンボルとなった「日比谷公会堂」が完成。当時、東京で唯一の音楽ホールとして“音楽の聖地”と呼ばれました。1934年(昭和9年)には「東京宝塚劇場」や「日比谷映画劇場」が誕生。また翌年には「東京宝塚劇場」の直営劇場として「有楽座」がオープンし、“映画・演劇の街 日比谷”の幕が開かれました。第2次世界大戦後には、演劇専用劇場であった「芸術座」や、「みゆき座」、「日比谷スカラ座」といった映画館がオープン。さらに1963年(昭和38年)には、世界に冠たる劇場を作るという志のもと、当代最高の劇場空間と評された「日生劇場」が完成。日比谷は日本のエンターテインメントの中心地として大きく発展を遂げていきます。

日生劇場
日生劇場

ビジネスの一大拠点としての「日比谷」

1930年(昭和5年)には、華やかな日比谷のイメージにふさわしく象徴的な建物であった「三信ビルディング」が、また1960年(昭和35年)には当時東洋一のオフィスビルといわれた「日比谷三井ビルディング」が竣工しました。さらに翌年完成の「日比谷電電ビル(現在のNTT日比谷ビル)」、その後竣工した「東京電力本社ビル」、「第一勧業銀行本店ビル」など、日比谷は日本の基幹産業の本社が集まるビジネスの一大拠点となりました。
こうした歴史的背景をもとに、国際ビジネス、芸術文化の中心地として「東京ミッドタウン日比谷」もつくられています。

三信ビルディング
三信ビルディング
日比谷三井ビルディング
日比谷三井ビルディング